信時正人の都市学入門(2)都市は総合デザインの時代へ
- 2018年05月09日
前回(2018年04月16日掲載)は、演歌の世界にしか現代の所謂「港町」は存在しないのではないか、という事を書きました。要するに、港と町は別の論理でできてきている、それぞれがひとつの都市としてのまちづくりの文脈の中で、一元的に論じられるものになってきていない、ということです。バラバラ感満載です。
でもこれは、港に限ったことではないのです。〇〇総合計画、というものは、私は商品カタログであって、よさそうな施策が、これでもかと記載されているものなのですが、それぞれの施策の間にはストーリーがなく、これでは、単に単品のホッチキス留めというものであって、決して“総合”と名前を冠することの出来るものではないのではないか、と思います。
第二次世界大戦後、73年が経ちました。戦後の経済の急成長に乗って都市も成長してきました。成長している時は、右肩上がり、人口も増えますし、20世紀型の経済の真骨頂、大量生産、大量消費、大量廃棄の世界が現出したのです。それが人々の夢であった豊かな生活、食べ物に困らない、モノにあふれた社会を作り出していきました。
横浜市では、そのころ、五大戦争という都市課題を抱えていました。①ごみ問題 ②道路交通のマヒ ③環境破壊 ④水資源 ⑤公共用地の不足、です。公害で日本が揺れていた時代です。そこに登場したのが著名な田村明さん。著書も多数あって、私も何冊かは愛読書になっていますが、民間から横浜市に身を投じた田村さんの一番の功績は、六大事業を企画し実行したという事です。六大事業とは、①都市部の強化(みなとみらい21他)、②金沢地先埋立、③港北ニュータウンの建設、④高速鉄道の建設、⑤高速道路の建設、⑥ベイブリッジの建設、であります。それぞれの苦労譚については彼の本を読んでいただくことにして、それらの効果で横浜市は、イメージの良い全国一の人口(現在、373万人強)を擁する大都市になったのです。
しかし、まぁ、これが可能であったのも、人口、経済力、等すべてが右肩上がりの時代背景であったことが大きな理由だと思います。都市は人口、経済の膨張に合わせていく必要があったのですが、住宅施策、インフラ事業、エネルギー等、その計画立案に関しては、皆に共通の意識、認識があって、目標値としても漠然とだけど、自然に皆の間で無言のうちに共有できていたのではないかと思います。深く社会の状況というものを考えなくとも、都市が成長することは疑いもなく、自治体は、種々の法制度を工夫しながら、トータルな都市つくりの仕事で、ハード、ソフト、ヒューマンそれぞれの分野を部や課の単位で、分担する形で、仕事を進めてきたのです。
その中で、2009年のリーマンショックが大きな引き金になったのではないか、と思いますが(日本は失われた20年ともいわれているバブルの弾けた後の無策の年月も経た後で)、右肩上がりの時代は終焉を迎え、現在は、非常に速いペースでの少子高齢化、人口減少、それに伴う、都市の縮退、地球温暖化対策の必要性、高度な情報化、ネットワーク化、等々、それまでには予期しない、事態が生起してきています。
そこで必要とされるのは、単なる役割の分担ではなくて、その前の総合的な施策をどうしていくのか、そして優先順位の判断だと思います。これまで通り部分最適だけ求めてきていれば全体最適に自然となってきたこれまでの経験が通用してきた時代ではなく、しっかりと全体最適を睨んで、その部分としての部分最適を求めていかないといけなくなったということだと思います。しかし、その全体最適、というのが、上記のように経験知の無いに等しい未知の世界となっているのではないか、と思っています。これまでの延長線上には将来はない、と断言できます。
50年たっても変わっていないという都市計画法だけではなくて、右肩上がりしか想定していないこれまでの、都市つくりの常識をどうかえていくのか。土木、建築、設計の世界だけではない、本当に種々の分野への関心が必要で、哲学や社会学というものがもっと真ん中にあるべきだと思っています。都市つくりの要諦、というものを後日この項で書こうと思っていますが、このコラムの題名を都市学入門とし、私の出た都市工学科の如く、“工”の字は入れていません。“理”でもなければ“経済”でもない。都市学という名前にこそ、都市は総合的なもの、総合デザインと言いたい、という私の考えがあります。
私がこの世界に進むと決めた本があります。高校二年生の時に偶々手に取った黒川紀章さん著の「都市学入門」です。もう売ってはいないかと思いますが、私は先日あるところでビブリオバトルに参加し、人生を変えた本という事で、この本の紹介をしました。
都市は文系理系関係なく、みんなで総合的にデザインしていくものです。その時代が来ています。