信時正人の都市学入門(12)まちづくりの要諦(Ⅲ)
- 2019年06月12日
20世紀の豊かさから21世紀の豊かさへ、これは2005年に開催された、愛・地球博の日本館のテーマでもありました。
20世紀型の豊かさの姿、理想、など、これまでの価値観の延長線上には未来はない、21世紀は違う、という事を考えて今後やってくべきではないか、というようなことを前回は書きました。
特に技術の進歩が予想をはるかに超えるスピードと規模で進んでいて、これは都市にとっても他人ごとではない、大きく変わってくるものと思います。
ネットの時代になってこれからは個人個人の価値が問われてくる、というようなことも書いたと思います。
学生と話すときには、我々の時代と違って会社の名前でその人の価値もシンクロして評価されるのではなくて、正に個人の価値、魅力が評価の大きな部分を占めるのではないか、という事ですね。
多種多様なグループにネットを使って参画出来ていく、という面白い面もあるのですけど、人に信用されなかったり、はっきり言って好かれていなかったり、あるいは、情報をあまり持ち合わせていない情報過疎の人には、厳しい面も出てくるのではないかと思います。
そんな人にはネットワークすることも憚られるし、情報の無い人には孤独感を感じてしまうような時代にもなったともいえます。ネット社会の功罪に関しては、ここでは話しませんが、この現実はプロジェクトの進め方に反映されていくのではないかと思っています。
図にありますように20世紀型は、発注者が、開発や建設であればゼネコンなどに、イベントなどは、広告会社、に委託するのがごくごく普通でありました。当然コンペになるのでしょうが。
しかし、私のいた商社は、国内では、建設案件でも、大きなイベント案件でも、ダメなようでした。
本気で取りに行っていない、という面もあったかとは思いますが、何故かと言うと、商社は中抜きだけで、付加価値はない、と思われているからだとも聞きました。
ゼネコン、広告会社が全て自前で賄っているとは思えず、下請さんを多く抱えて仕事を進めていますね。
その辺のマネジメントと資金手当での役割は大いにあるわけです。
しかし、商社は海外では多くのプロジェクトの頭を取っていて全体プロジェクトマネジメントや資金計画などもすべてやっています。国内の方々が知らないだけですね。
と、まぁ、恨み言はここまでとして、日本の現状としてはそうなっています。決まりきった常識的な会社に発注していくのです。
しかし、このネットワークの時代においてもそのままでしょうか。
商社がどうか、というよりも既存の企業が従来のままのやり方で仕事を取れていくのか、それがいいパフォーマンスを出していけるのか、ということを考えないといけないと思っています。
実は私の関わった愛・地球博日本館のプロジェクトはそれまでとプロジェクト推進のやり方が違っていました。ネットワーク型にしたのでした。当然、経済産業省の考えでした。
万博全体を取り仕切っていく協会『(財)2005年日本博覧会協会』は最初から組織され、そこが種々の事を進めてきていました。
大きな問題として、環境を謳った万博なのにオオタカの巣がある森を伐採して広大な会場を作るという会場計画に関して世界から反論が相次ぎ、国内では政治マターにもなり、もう開催できないかもしれない、という事態にもなったりしていました。万博の跡地に大きな住宅都市を創る計画があったのです。
万博など大きなイベントは、その後の開発を睨んでのインフラづくりの一面もあることは不思議ではないのですが。この時もこの協会自身が矢面に立って対処していたという事であります。
そういった全体コントロールの役割のほかに、経済産業省にはもう一つの顔があります。出展者としての顔です。それが日本館なのです。そこでは、従来と違った挑戦的な発注の仕方を考案し選択しました。
それが、ディレクターチームの組成でありました。
建築の世界でも最近はCM(コンストラクションマネジャー)というどちらかというと個人業主がいて、委託者・発注者の側に位置して、業者たる設計者やゼネコンとの対応を行うやり方が出てきています。
発注者側の専門知識の足りなさを補い、専門的なところでのコストや品質のネゴシエーションを担当します。
単に家を建てる際にも工務店やらハウジングメーカーなどとは種々の知識に欠けるまま発注にまで進んで行くことが普通かと思います。
イベント等々でも同じことで経済産業省は特に専門家ではないわけで、そのサポートとして、専門的な経験に裏打ち有れた専門家集団として、プロジェクト推進への事務局的な存在として、ディレクターチームを置くという事としました。適正コストでやって行く意味でも、当然のことかとは思います。
私自身はその中で事務局長、言葉を変えれば、プロデューサーの位置で関わっていました。
そのチームの概要が上の図にもありますが、建築、展示、運営、環境等々、十数名の専門家の小集団として、推進へのエンジンとなったのです。
位置づけは経済産業省へのサポートで各種業者とのネゴにあたっての窓口、専門的アドバイズ、イベント、展示の総合的な企画立案とコスト管理、等を請け負いました。広告会社やゼネコン、その他の専門業者とも連携しつつ進めていきました。
ディレクターさんたちは、それぞれ個人で一騎当千でやっている人たちや、小なりと言えども会社のトップであったり。ごく一部を除いてサラリーマンはいなかったのです。
この会議ではいつも専門的な話が飛び交い、建築や、運営、展示の協働会議はすぐに行う事が出来たものです。
また、小集団なのでコミュニケーションは非常に濃密で効率的であったと思います。
尖った人たちばかりで自己主張も強く、まとめる立場の“事務局長”は調整、調整、で大変でありましたが。でも尖がったところがないと企画もつまらないので、その辺は丸くすることなく、出来るだけ原案を取り上げていく方針とし、コストや工期、等々総合的に考えて企画を練っていったのです。
ディレクターチームや業者側だけではなく、発注側の経済産業省の方々も加わり深夜から早朝に亘る議論を続けたことも一度や二度ではなかったです。
結果、それまでにない、挑戦的な展示やイベントが実施出来まして、どの人気アンケートでも5位以下には落ちる事の無かった日本館(長久手、瀬戸、サイバーの三館)が出来たと自負しています。
この日本館プロジェクトの進め方は、安全に大企業にまるっきりお任せで進めてきていたそれまでの万博のパビリオンの作り方とは一線を画しました。
能力のある異質で異能の個人のネットワークを活かしていったという事です。
私が万博の仕事をしていた当時(2002から2005年)はまだインターネットサービスが十分ではなかったですが、今であればもっと便利に効果的にプロジェクトを進められたと思います。
1984年のロサンゼルスOlympic。ユベロス氏という人(その後に大リーグのコミッショナーにもなった人)を中心に数人の小さな専門家グループを設置し、ここにすべての権限を付与しOlympicプロジェクトを推進しました。開会式で背中にロケットを背負って飛び立って聖火に点火したのを覚えていらっしゃる方もおられるかもしれません。
この大会は大成功しています。これに代表されるような事業推進の仕方に関して、経済産業省内でも調査し、これまでにない日本館を作りたいという事で、前例のない異例ではあったようですが、ディレクターチームの創生に向かったという事です。
個人個人の能力をネットワークしていくやりかた、結果は上記の如くいい結果が出ました。
万博のレガシーと良く言われますが、それも十分に残せたのではないかと思っています。ディレクターチーム方式が一番のレガシーかとは思うのですが。海外ではこういったやりかたはそんなに珍しいものではないのです。日本のようなゼネコンや広告会社のような総合的な存在はないわけです。
その意味では私のいた総合商社もそうですけど。日本のこうしたやり方が全面的にダメだという事ではないと思いますが、愛・地球博日本館のプロジェクトの進め方は21世紀型新しいプロジェクトの進め方の典型であったと思います。
その後の万博、2025年の大阪・関西万博の進め方は従来通りのようですけど。。。私は愛・地球博日本館のプロジェクトの推進を真ん中で経験し、その成果も(改善点は流石にありますが)良くわかっています。
世の中、(前回書きましたように)恐竜の時代から小さな哺乳類の時代に入りました。
否応なく、日本中、或いは世界中からの知をネットワークして物事にあたっていく時代に入ったことは確かです。その中で、世の中はこれからSDGs、パリ協定の二頭立てでのプロジェクト推進が求められていきます。
まちづくりのやりかた、まちの色んな施設の在り方も大きく変わっていきます。
そんな世の中になりました。
この潮流を如何に受け止めていくのか、その感覚の有無が問われます。