信時正人の都市学入門(10)まちづくりの要諦(Ⅰ)
- 2019年01月29日
このコラムも今回で10回を数えます。
その時々の事象に絡めて、都市を論じたり、目の前で起こっていること、体験していることをこれまで書かせていただいてきました。
それらには、これからの都市づくりに必要な視点を私なりに入れてきたつもりです。
この辺で、それらの底流を流れる、要諦というものを、書いていきたいと思います。
高邁な学問ではなく、これまで、私自身が実際に種々の仕事を通して会得(?)し、確信をもって指針としているもので、私が学生に話をする機会などに、最初に申し上げている事です。
今回お示ししている添付図をご参照頂きながらお読みくだされば幸甚です。
私の基本認識は次のようなものです。
まず、まちづくりとは、ハードだけではなく、全産業が関わるものと捉えるべき、ということです。
建築、土木、設計、設備、と、まちづくり系と思われる業界は色々とありますが、それらだけで成り立つわけではないというのが基本認識であります。
最近、地域開発というと、住宅、商業施設、ホテルetc… 。
こういう定番が企画として並びます。
不動産のビジネスとしては儲かるアイテム(当然種々の条件はあるが)であります。
しかし、ここでは、その住宅を買う人、食品や衣類を買う人、宿泊したり、宴会をしたりする人、が必要ですよね?
その人たちのお金はどこから回ってくるのでしょうか?
当然、どこかで稼いで来なくてはならないわけで(全員がハード系の業界ではないことは明白)、この簡単な経済学(?)から考えても、人々が暮らしていく為には働いて収入を得る産業が必要だ、という事がわかると思います。
全ての分野の産業が都市つくりに関わっているという視点、まちづくりとは、そのまちが生きていく為に必要な産業つくりと不可分である、という認識が必要です。
まちづくりは「食い扶持探し」からと添付図の表題に書いていますが、逆に、食い扶持がない都市は存在し得ないという事です。
私は、故郷、和歌山に高校卒業までいて、それから東京にやってきました。
かつての集団就職ではないにしろ、私の年代の人々は概ね、大学に行くために地方から東京や大阪の大都市に意識が向かっていました。
これはどうしてか。
仕事のボリュームとバリエーションが圧倒的に都会の方があるからですね。
当然です。地方は、家業で代々やってきている家庭の人はいいけれど、親がサラリーマンだったりすると、大学卒業後の勤め先を考えると、地方だと非常に業種が限られてくるのです。
大いに世界に羽ばたきたいと思ってもそのチャンスがない、という事が見えているわけです。
第一次産業に従事する、家業を継ぐ、医者、行政マン、それら以外のバリエーションが本当に少ないことは否めません。
最近でこそ、サテライトオフィスが地方でも華やかな感じになってきているところも多く出てきていて話題になってきていますね。
半農半IT、だとか、半サーフ半IT(サーフとは、サーフィンの事です)、だとか新しいスタイルの田舎暮らしも再注目されてきていますが、それも都会から離れても可能であるIT産業の特徴を活かしたものであって、やはりそこには楽しく、やりがいを持って働ける産業が成り立っている、ということなんですね。
大昔を考えてください。
人間は、狩りや木の実等を取って生活していました。
食べ物のあるところを移動していたと思われます。
貝塚もありますし、水も大事ですので、川のほとりなんかにも住居を構えていたようです。
アフリカの動物の大移動なんて正に食料を求めてのものですよね。
その後、自然を人為的に改変する技術が生まれ、これが農業ですが、同じところに定住するようになっていったわけです。
要するに、食べ物や水のあるところに人が住むのは、当然のことなんですね。
したがって、都市、いわゆる人が集中して住むところには、食い扶持である産業が存在していることが必要だということになります。
自治体では、都市整備関係や、道路のようなハード整備の部局と、経済、産業振興の部局が別々にあるのが普通ですが、根本的にはそれらは協働していくのが、まちづくりでは理想だと思うのですが、実際には別々の論理で動いています。
ここが問題。
横浜のような港湾都市が成り立ってきたのは、石油化学産業や製鉄産業、自動車産業など、港を大いに使う産業があったからであって、あるいは、そういった産業を立地させていきたいという政策があったからであって、港つくりとそれに関連する道路付けや、建物つくりを単独でやってきているわけではないわけです。
この港町ですが、では、どこにでも建設可能かというと、そうではない、やはり、深めのバースが建設でき、高波からの防波堤の設置も可能になる、海の地形などの自然の状況も非常にかかわってきます。
産業つくりにも自然条件が大きくかかわってくる部分もありますね。
そのうえで、その地域でそれまで歴史的にどういった産業が成り立ってきているのかを知り(人や技術の伝承も残っているだろうし)、いかなる人材や素材があるかどうかも認識し、そのうえで、現在の産業の上に、例えば21世紀を支えていくことのできる、21世紀の食い扶持になる地域の特徴を持った産業を如何に育てていくのか、それを基に如何なるまちを創っていくのか、というような思考回路が必要だと考えています。
添付した図は、プリンの絵になっています。
プリンが皿に乗っている、この意味は、皿にあたるところに書いてある、文化、芸術、歴史、教育、そして自然環境、というのは、その認識がベースにないと上に乗っている産業が成り立たない、ということを意味しています。
この中に民俗性というものを入れてもよいかもしれません。
そのベースの上で、プリンの上の方に書いてあるのは、目的とする産業、これはその地域の特徴を活かしたリードしていくべき産業群の項目を並べ、プリンの横には、その産業を支えていく手段の産業技術を並べてあります。
もっとも、手段の産業と言ってもそれが主役の産業になっても全くよいのですが、私としての勝手な仕訳をモデル的に書いています。
その地域で今後どんな産業を食い扶持にしていくのか、その産業にあったまちづくり、人づくりはどうやっていけばよいのか、という順番での見直しが今後の都市開発や地方創生等で必須だと思っています。
プリンの図を見ながら、地に足のついた産業つくり、それに伴うまちづくりを考えていければよいのでは、と考えています。
次回から、もう少し詳しい要諦を述べていきます。